2012年3月20日 (火)

日々点描・三行書きと定型詩

三行書きと定型詩

春過ぎて夏来るらし白妙の衣干したり天の香具山

                          持統 天皇

この歌は、三行書きにしても、破壊はない。

春過ぎて夏来るらし

白妙の衣干したり

天の香具山         

と、三行にしてみて、はっきりするだろう。

二句で切れ、四句で切れているからである。

そして、このような歌もあるといことだ。

同時に、ほとんどの歌は、五句を三句にするとところで、破壊と構築が繰り替えされるのであろう。そこに、表現の魅力とともに、一つ一つ別の形を作り出す力が必要になるではないか。定型詩を志す人に、そのような資質を持った人はいない。三行書きを定型詩と考えるところからは、何も新しくならなかったのではないか。

                                      1141810

日々点描・破壊と構築

破壊と構築

迢空は、五行書きの歌を残している。

石川啄木の三行書きの歌との違いは何ないか。ここで、思いついたことを書いておきたい。

短歌は、本来一行に書いてきたものである。

1000年の越える歴史があり、いろいろと試みられてきたことの確かだ。この形式の活用として、迢空と啄木の形式の問題も考えておくべきことにひとつだ。

内容はあきらかに、違いといっていい。

短歌は、五句三十一音の形式であり、迢空の五行書きは、五句を五行にしたということになる。

比べて、啄木の三行書きは、五句を三行にするのだから、形式の破壊と常に隣り合わせなのである。その破壊は、破壊によって、新しい形式を構築することだ。

一首ごとに、破壊と構築が繰り返されるというところに、特色があることを知ることが出来るのであろう。                  114189

日々点描・啄木の発見

啄木の発見

東海の小島の磯の白砂に

われ泣きぬれて

蟹と戯る

視覚で読む。

この啄木の歌に、そのことを考えてみたのである。

一行にして、そのまま読むとこの歌の力点は、下句「われ泣きぬれて蟹と戯る」にあるということになるのであろう。

そして、この把握が結局のところ、陳腐ということになるのではないか。

三行にわけて、その形を視覚で読むと、「われ泣きぬれて」が、中心となり、歌の要となるのだ。その「われ泣きぬれて」が、「白砂に」 繋がるのが、この歌の構図であろう。

つまり、この歌の構図にいままでにない、もう一つの世界が構築されていると見ていいのではないか。

それが啄木の発見だ。                  114188

日々点描・生きての生を見る

生きての生を見る

東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹と戯る

  

東海の小島の磯の白砂に

われ泣きぬれて

蟹と戯る

前の歌と後の歌の違い何か。

後の歌が、三行書きであるところが、明らかに違う。そして、意味の上でも、前の歌は、「われ泣きぬれて蟹と戯る」となるところが、後の歌では、「白砂に」と少し切れて、「われ泣きぬれて」となるところ、注意しなければならない。視覚から、聴覚として「白砂にわれ泣きぬれて

」と受け止めるのだ。「白

砂にわれ泣きぬれて」いる、このわれが、「蟹と戯むる」というのが、この歌の意味だ。

その違いが、ただの感情と、生のふれている思いとの違いではないか。後の歌に生きての生を見る                      114187

日々点描・欠落しているもの

欠落しているもの

東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹と戯る

歌集『一握の砂』の最初に置かれた歌について、先に、厳しいことを書いた。

その評価は、如何に考えても変るものでない。

そして、言葉は同じでも、一行書きの歌は、啄木の作品であっても、歌集『一握の砂』の歌とは別のものなのである。そう受け止めたのであった。

  東海の小島の磯の白砂に

われ泣きぬれて

蟹と戯る

この三行書きの歌が、歌集『一握の砂』の作品なのではないか。

その事が、啄木の生を、作品として大きく変えたのではないか。    

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hibi

2012年3月 9日 (金)

日々点描・啄木の現状

明治四十三年七月号の創作に、啄木の次の歌が載っている。

東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹と戯る

一行書きである。短歌として、当然なことに違いない。

同時に又、この歌は表現として、平凡であろう。むしろ、下句「われ泣きぬれて蟹と戯る」の表現は、生活の実感が背後にあるといっても、何も取り得のない言葉の使い方だ。

そのことを、この一行書きの歌から、受け止めるのである。

現在、評価されている啄木の歌であっても、この歌はそう受けとめても、仕方のないことではないか。

ここに、この歌の実態がある。

啄木もそこで、どうにもならなかったのではいか。

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日々点描・歌の現場

明治四十四年の創作一月号に、石川啄木は「方角」九首の歌を発表している。

次の歌は、その中の一首である。

  何とはく

  今年は好い事あるごとし

  元日の朝晴れて風無し

三行、書きの歌であってこれは画期的なことだ。

そして、雑誌に発表された三行書きの歌として初めてのことであったといっていいのであろう。

他の雑誌にも、一月号に三行書きが載っているが、これは同時に書かれたとみてのことだ。

三ヶ島葭子は、その現場にたちあっていたと考えていいところだが、葭子には、このことにたいしての反応は何もない。そのことを、受け止めたのである。

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日々点描・啄木と葭子

昨日、三ヶ島葭子の会で、一時間ばかり話をした。

啄木の明治四三年四四年に、「創作」の発表した歌についてである。

葭子も、「創作」に作品を発表しているので、二人の接点を作品のうけから、確かめてみようと試みたのだ。

しかし、それは、徒労の仕事ということになるのであろう。

二人の接点は、作品の上にあって、痕跡をのこしていなかったということである。

生活の中に、生きる己を歌う啄木の歌に、葭子が、感応をしなかったということに違いない。

人として、葭子はこの時にあって、生きるという上での生活から、離れていたと受け止めたのであった。

それでも、それだからこそ、葭子のあり方と、これから葭子の築いてゆく世界が見えてくるのかも知れない。                   114182

日々点描・怠けているわけでない

この二三日、何も書かないできた。

怠けたわけでない。

十六日の埼玉歌人会の総会と、十七日の三ヶ島葭子の会が続いたからだ。

この二つの会の準備のため、この度の大震災がどれほど、差し障りがあったことか。

どうにか、乗り切ったということだ。

そして、二つの会を通して、こころに浮ぶことも多い。

一つに、メールが如何に役立つかということである。

家にいて、意見を述べることも、それを集約して連絡すると事も、出来るといっていい。

そこに、今日という時代があり、これからの人とのつながりも、このようなところから、新しい世界が築かれてゆくに違いない。

また、乗り切れたことにより、おのれ自身のあり方も、一歩前に進んだということになるのであろう。                      114181

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